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Sustainability(名詞:持続...
学生の時以来ジーンズを買いました。それも育てていくタイプのジーンズで一切加工がしていない、雨に濡れればあらゆるところに色を移して、一緒に洗濯した日には全てを藍色に染めてしまうあれです。20歳ごろ来る日も来る日も同じジーンズを履いて、洗わずに自分の足に合った形に、どこにもない世界に1つだけの自分だけのジーンズを作りたいと頑張りました。その結果自己満足だけのボロボロのジーンズと、ほんの少しの理解者と、大多数の”不潔、臭い、信じられない”という友人と、どうかそれで実家には帰ってこないでという家族が残りました。ボロ雑巾扱いされ、何度も捨てられそうになったあのジーンズも、流石にちぎれてショートパンツみたいになってしまったために捨ててしまった。
45歳になり、きっと自分の寿命はもうとうに半分は来てしまったであろう自覚がある。ここからは長くゆっくりと愛せるもの、壊れてもそれもそのものの一部であって決して綺麗なままでいることがその価値を落とす要因ではない考え方に変わってきた。
治療も若い頃この治療方法でいつまでもつのかなどあまり考えていなかったような気がする。目の前の患者さんの訴えを少しでも早く解決することがいいことで、綺麗にできれば、患者さんが満足してくれればそれが正解だと思っていた。歯科医師になり21年目となり、自分が行った治療も数年で壊れて帰ってくる患者さんを見る機会が増え、その場しのぎでしかなかった処置は自分が思っていたよりもずっと早くもっと悪化していたりした。だから今はその時は患者さんには残酷な言葉になってしまうかもしれないけど伝えなきゃいけないことがあることもわかっている。まだまだ私の技術では一旦直したら一生持つなんてことは絶対に言えない。でもその期間を、患者さんが歯のことなんて気にしないでいられる期間が少しでも長くなるようにと切に思っております。今日も子供たちに奇異の目で見られようと、ジーンズ履いたまま寝よう。